「コロッセオのある限り、ローマは滅びず」と謳った詩人もいたほど、コロッセオは、古代から現代までローマの象徴とも言える建造物です。実際、この建物を作るローマンコンクリートは耐久性に優れ、現代の鉄筋コンクリートよりも遙かに寿命が長いと言われています。恐らく、現代日本に林立するバブル期のビル群が崩壊した後にも、コロッセオは建っているに違いありません。この建築物は、パンテオンや水道施設と同様、古代ローマ人の建築・土木における非凡な能力の象徴なのです。
コロッセオの基礎地盤
コロッセオはA.D.75年にウェスパシアヌス帝によって建設が始められた施設で、前代の皇帝ネロの黄金宮殿の上に建てらました。皇帝ネロの記憶を消したいという意味もありましたが、この頃にはローマ中心部で建設用地が不足気味であった事も影響したと考えられます。黄金宮殿は150haもある大規模な施設で、主に台地を開析した谷の中にあったのですが、コロッセオが建てられたのは、宮殿の池を含む部分でしたた。つまり、敷地の一部は、軟弱な地層からなる沖積低地の上の更に軟弱な地盤にかかる事になったのです。
地震による不同沈下
コロッセオは、もともと地上三階建ての観覧席を持っていましたが、現在では三階席の約半分が崩れ落ちています。この崩れ落ちた部分は、池を埋めた部分に相当し、三階が残った部分は、軟弱地盤が薄いか台地を切り土した地盤に載っているのです。つまり、コロッセオの崩壊は、地盤条件の違いが建物の局部的な揺れの違いを引き起こしたために発生したと考えられるのです。さしもの頑丈なローマンコンクリートも地盤の影響は免れ得なかったというわけです。
度重なる修復と真の危機
崩壊の直接の引き金は、1349年の地震だと言われています。しかし、建物が作られた1世紀以後、14世紀までの間、地震は何回か繰り返され、そのたびに何らかの被害はうけていたはずです。実際、コロッセオの内部には、多くの「修復記念碑」が残っています。古代ローマでは修復を含むインフラ整備は、政治家が人気取りのために私費で行う事が多かったので、コロッセオの軟弱な基礎地盤は、古代ローマの政治史に多少は影響を及ぼしたのかも知れません。しかし、問題は、帝国の統治が機能していた間には可能であった修復工事が、中世には不可能になっていたことです。それどころか、表面の大理石は剥がされて他の建物(教会等)に転用されました。こうした荒廃の原因としては、政治・経済システムの混乱と共に、ローマンコンクリートの技術が途絶えてしまった事が大きいと思います。
2000年後の今も、確かにコロッセオは立っていて、都市ローマも存続しています。しかし、その姿は地盤条件を考慮した建築計画、箱物のメンテナンス、そして技術伝承の重要性を訴えかけていると言えるのです。