行政の正常性バイアス

1978年宮城県沖地震は、谷埋め盛土地すべりを都市の斜面災害として再発見させたと同時に、そのリスクに関する正常性バイアスを、一部の有識者たちに共有させた地震でもありました。正常性バイアスとは、自分にとって都合の悪い情報を過小評価してしまう人間の特性の事です

仙台市型地すべり?

地震後、「谷埋め盛土地すべりは、仙台以外の都市では起きにくいし、今後は大丈夫だから安心して欲しい」という主張が、行政側によってさかんに言われていました。宅地開発のインサイダー研究者たち(土木・建築・都市計画系の有識者で構成)も、その主張をサポートしていたので、国民はそれを信じたわけです。その根拠とされたのは2点です。1点目は、仙台郊外の丘陵を作っている地層の特徴です。仙台では、造成時に削られて盛土に使われたのは、丘陵の基盤(地山)である第三紀層の砂岩、泥岩でした。これらは、湿潤と乾燥の繰り返しによって、ただの砂や泥に分解してしまう性質があり、スレーキング現象と呼ばれています。この現象は、普通は地表で見られるのですが、地下水位が上下する環境下では、地下でも起きることがあります。仙台の盛土は、そういう環境にある場合が多いので、「盛土が当初の想定よりも弱くなり、地すべりが起きた。他の都市では同じ様な材料を使っていないので安全」という理屈が考えられました。

開発行政(法規制と技術基準)の限界

 2点目は、当時の宅造法や都市計画法による開発規制が真に有効であることを信じ込んだ、あるいは信じようとした点です。つまり、過去の開発はダメだったけれど、これから行う開発は大丈夫というわけです。これから、「仙台では動くべき盛土はあらかた動いたので、将来の地震に対しては安全」という結論が導かれました。そうした議論の背景は、「技術基準」に対する無限の信頼に他なりません。しかし、そもそも技術基準というものは、常に深化する災害の後追いという難しい宿命にあるものです。さらに、いちいち挙げたらキリが無いのですが、開発の現場を知るものからすると、そうした甘めの技術基準さえ守られない、守りたくても守れない現実があるのも事実です。

甘くない現実

 かくして、「関係者たち」の都合の良い理屈が通るほど、現実は甘くないことを、国民は次の1995年阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災で思い知ることになりました。歴史的に見れば、1978年当時に谷埋め盛土地すべりの本質を正しく認識し防止策を講じていれば、その後の被害を少しは軽減できたかも知れません。行政の様々な事情によって事態が深刻化した点は、大気や水の公害問題と良く似ていると言えます。谷埋め盛土地すべりを「遅れてきた公害」と呼ぶべき、もう一つの理由です。

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