1978年(昭和53年)6月12日に宮城県沖で発生したM7.4 の地震は、仙台市を中心とする都市圏に多くの被害を与えました。当時、茨城県桜村(現、つくば市)にいた私は、車の運転中、ハンドルを取られて路肩に急停止したことを、今でも鮮明に覚えていいます。
こうしたM7クラスの地震は、宮城県沖では明治以降11回も発生しています。つまり、仙台は定期的にこのクラスの地震がやってくる都市なのです。しかし、1978年の地震は、戦前までの地震に比べ、地震の規模(マグニチュード)の割に被害が大きい地震となりました。戦後、仙台都市圏が大きく発展し、都市構造が大きく変わっていたためです。高度経済成長を経験した大都市が、深刻な被害を受けた最初の例でした。この時の仙台では、その後の都市が大震災で経験することになる、ほぼすべての災害のエッセンスを見ることができます。
都市型地震災害
この地震では、死者28名、負傷者11028名、建物の損壊は179225棟に達しました。しかし、家屋全壊率は、0.3%と低く、大規模な火災も発生しませんでした。これは、仙台中心部の地盤(地山)が比較的良いためと、現代の住宅が全体としては耐震性を向上させていたためと考えられます。その中で、世間の注意を引いたのは、液状化、ライフラインの被害、宅地造成地の斜面崩壊(谷埋め盛土の地すべり)、ブロック塀の倒壊でした。これらは、その後の都市の地震災害に繰り返して出現する定番の被害パターンです。この点に、この地震被害の現代的特徴が良く顕れていると思います。
多数の谷埋め盛土地すべり
当時の被害の状況は、東北大学理学部の地質学者たちが、教室の総力を挙げて調査し、刊行した詳細な報告書から読み解くことができます。谷埋め盛土の地すべりは、仙台市緑ヶ丘、南光台、鶴ヶ谷、白石市寿山第四団地等多数の場所で発生しました。多くの住宅が壊され、白石市では1名の方が亡くなりました。以前からの地質学者や地形学者の懸念が的中した訳です。そのため、造成地の谷埋め盛土地すべりは、この地震によって、改めて世間に注目されました。10年前に犠牲者を出していた谷埋め盛土地すべりですが、仙台という大都市で起きたことにより、都市の斜面災害の典型例として、ようやく再発見されたわけです。しかし不思議なことに、当時、谷埋め盛土の地すべりは、いわば「仙台の古い盛土(昭和43年の都市計画法施行以前)限定」の災害として処理されました。そう信じたかった一群の人々がいたからです。