未災学の可能性

2016年(平成28年)の熊本地震では、約15000戸の宅地が被害を受け、被害額は数百億円規模になりました。この地震は、都市の内部における宅地の危機的状況を露わにした地震でもあったのです。事態を重く見た国土交通省は、簡単な試算をしてみることにしました。震度分布、地形、宅地の年数などの詳細な条件は考慮せず、熊本市の宅地被害率をそのまま適用する大雑把な試算です。ですが、その結果は衝撃的で、人口集中地区が隙間なく拡がる首都圏4都県(東京、千葉、神奈川、埼玉)で熊本地震級の内陸直下型地震が発生した場合、「崩落などの宅地被害が累計で約36万件に上る」という結果になりました。その被害額は1兆円を上回る見通しです。被害の内訳は、東京都で約14.8万、埼玉県で約6.5万、千葉県で約5.8万、神奈川県で約8.8万宅地と推定されます。果たしてこうした、深刻な被害を南関東にもたらす地震は、いつ頃やってくるのでしょうか?

歴史地震学の寒川旭さんによると、現在は、貞観地震が起きた9世紀に良く似ているそうです。9世紀には、前半に東北の日本海側と中部地方で地震が頻発した後、827年と868年に近畿で地震、その後、869年の貞観地震の後、約10年後の878年に三浦半島(相模湾)、更に約10年後の887年に南海・東南海地震が発生し、その後は地震の静穏期に入ったというのが歴史的事実です。つまり、2011年東北地方太平洋沖地震を869年貞観地震の再現と考えると、1983年日本海中部地震と1984年長野県西部地震は9世紀前半の地震、1995年兵庫県南部地震は827年と868年の地震に当たると考えることもできるというわけです。もし、9世紀の順番通りにいけば、2011年東北地方太平洋沖地震の約10年後の2020年頃には首都圏で直下地震が、約20年後の2030年頃には南海・東南海地震が発生するかも知れません。歴史がその通り繰り返される確証はありませんが、それを否定する証拠もありません。いずれにしても、今世紀前半に大地震の発生は避けられそうに無いというのが、地震学者の一般的な見解です。彼らによると、南関東直下地震は、今後30年以内に70%の確率で、南海地震も今後30年以内に70%から80%の確率で発生すると予測されています。

ならば、せめて被害を少なくするにはどうすればいいでしょうか? その答えも2011年に女川原発を救った平井弥之助(元東北電力副社長)の行動に示されています。平井は、東邦電力新潟火力発電所の建設にあたっても、基礎を堅固な地盤に置くことを主張しました。はたして、1964年の新潟地震では、大規模な液状化が発生しましたが、同発電所の施設は持ちこたえたのです。平井は、太平洋の沿岸から阿武隈川を少し遡った宮城県柴田町の出身で、東北の海沿いを定期的に襲う地震や津波の怖さを実感しつつ育った人です。歴史は未災の意識(未来に被災するであろうという覚悟)を育てるものです。彼の判断の根底には、そうした地域に受け継がれた歴史の力があったに違いありません。

 高密度化した現代都市において、防災・減災はハードウェアだけはで完結できません。リスクが複雑に絡み合った状況では、「安きにありて危うきを思う」人々を増やすのが最も効果的な防災・減災対策と言えると思います。平井の様に「未災の意識」を持った人々は、災害リスクを「我が事」として受容し、行動に移ることができるからです。しかし、普通の人々(住民や自治体)は、現実になるかどうかわからない災害のために、貴重なお金や労力を割くのは実に馬鹿馬鹿しいと感じるので、災害にあってしまうのです。そこで、彼らを説得するために未災の思想を語る学問を「未災学」と称することにします。実際、これまで述べてきた宅地崩壊の問題は、未災学の具体的で典型的な問題の一つと言えます。 今まで見てきたように、なぜか不正確なハザードマップ、それに基づく適当な地域防災計画、こうした「とりあえずやりました」で済ませようとした対応は、結局、都市防災の最も脆弱な部分を作り出しただけでした。その結果、一見平和そうに見える住宅地に、突然襲い掛かる土石流や崖崩れ、そして強震時の谷埋め盛土地すべりは、地域社会に深刻な打撃を与えてきたのです。確かに、宅地には多くの関係者がいて、巨額の利害が絡んでいます。しかし、だからこそ、宅地崩壊の防災・減災は難しく、未災の意識(=想像力)を特に必要とする問題なのです。たくさんの災害を経験した我が国だからこそ、「未災学」の発信を通して未来に貢献することができるに違いありません。

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